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校長ブログ / 高等学校

2023.01 UPDATE

3学期始業式を行いました

1月10日(火)に、2学期終業式を行いました。私の挨拶は、Zoomを用いて、各教室に映像付きで、配信しました。長文ですが、掲載させていただきます。

 皆さん、おはようございます。そして、新年明けましておめでとうございます。12月24日の2学期終業式でお話ししてから、まだ2週間ほどしか経っていませんが、その間に、2022年から2023年に年が改まりました。短い期間でしたが、皆さんは、どう過ごしましたか。そして何を思いましたか。学校の活動でいえば、補習や講習に参加した人、部活動の練習、試合やコンクールに臨んだ人など、多くの活動をしてくれました。家庭でも、充実した時間を過ごしてくれたことと思います。
 「1年の計は元旦にあり」といいます。平凡な生活の繰り返しにけじめをつけることは、人間の素晴らしい英知だと思います。正月の意義は、新しい年になった機会に気持ちを一新して、その年の決意をし、意欲を充実させることにあります。
 私のお正月は、何といってもサッカー部が、全国大会に連れて行ってくれたことです。残念ながら、目標としてくれていた全国優勝は、かないませんでしたが、高い技術とハードワークで、履正社高校サッカー部のレベルの高さを、全国に示してくれました。スタンドでは、サッカー部員や保護者の皆さんと一緒に、吹奏楽部とチアリーディング部の皆さんが、盛り上げてくれました。今回、全校応援は、かないませんでしたが、皆さんもテレビの前で、応援してくれたことでしょう。ホントに、ありがとうございました。
 さて、秋アニメが終わり、冬アニメが始まりましたが、まだ始まったばかりですので、詳しい話は、またの機会ということで、今日は、アニメではなく、珍しく俳句を紹介しましょう。俳句の世界では、「去年今年」と書いて「こぞことし」と読む季語があり、年を越す瞬間を表すとされています。「こぞことし」が詠みこまれた俳句を二つ紹介しましょう。
 まず最初の句は、高浜虚子。
  「去年今年(こぞことし)貫く棒のごときもの」
 この句の解釈は、様々です。
  ・1年の変わり目は、特別なことと思われるが、ただ時間が過ぎるだけのこと。あたかも1本の太い棒で貫かれているかのように、時の流れの一部に過ぎない。
 あるいは、
 ・年が改まっても、生きる意志のようなものが心の中を棒のように貫いている。何があっても決して退くことのない心、ゆるぎない思いが自分の中を貫いている。
という解釈もあります。それにしても「貫く棒のごときもの」とは、大変力強い表現です。とても76歳の時の句とは思えません。
 続いての句は、森澄雄(もりすみお)。
  「埋み火(うずみび)の生きてつなぎぬ去年今年(こぞことし)」
 茶道の世界では、年末年始の行事として、その年最後の茶会で使った炭火を、「埋み火」として大切に残し、新年最初の茶会の種火とする習わしがあるそうです。年を越えても、静かに燃え続ける「埋み火」を、命になぞらえて詠んだ句です。
 皆さんは、どちらの句が好きですか。昔は、「貫く棒」の力強さにあこがれていましたが、この歳になると「埋み火」のような静かな世界もいいと思います。この1年「貫く棒」のように力強く生きてもいいし、「埋み火」のように燃える思いを内に秘めて生きてもいい。3年生、いよいよ自己実現の本番の時期を迎える人も、たくさんいます。不安や悩みがあると思います。それ当たり前のことです。受験生なら、誰もがこの時期、不安や悩みで一杯です。必要以上に気に病むことはありません。皆さんなら、「埋み火」のように静かに燃えて、「貫く棒」のように、最後までやり抜いてくれることと信じています。
 この1年が、生徒の皆さん、そして我々教職員、すべての人にとっていい年であることを期待して、私の挨拶を終わります。みんなで、いい年にしましょう。

 続いて、大阪府アンサンブルコンテストで金賞を受賞した吹奏楽部金管八重奏のメンバーを表彰しました。最後に、全国大会応援のお礼をサッカー部主将が行いました。

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