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理事長だより

2025.07 UPDATE

【理事長だより】「Vol.77 校庭に高射砲があった日」

戦争の記憶を受け継ぎ、平和の尊さを見つめ直すために

令和七年。日本が第二次世界大戦に敗れてから、八十年の節目を迎えます。この八十年、私たちは戦争のない時代を生きてきました。先の戦争の記憶は、遠い昔の出来事として片隅に追いやられようとしています。だからこそ今、あらためて静かに思いを寄せてみたいのです。かつて、私たちの学校が、戦時下にあったという事実に。

本校の卒業生、関本敬次さんの手記には、戦争に翻弄された生徒のまなざしが、淡々と、けれども確かな筆致で綴られています。今回、その一部をご紹介します。

―加島町にあった、かつての履正社―

関本さんは昭和四年(1929年)に大阪で生まれ、昭和十六年、旧制・履正社中学校(5年制)に入学されました。当時、中学校の校舎は神崎川沿いの加島町にありました。木造二階建ての校舎、広い運動場、そして活気ある生徒たちの姿がそこにはありました。

けれども戦局が深まるにつれ、日常は少しずつ戦争に染められていきます。軍事教練が日課となり、上級生は軍需工場へと動員され、教室には兵士の姿が見られるようになりました。学校という場が、学びの場から「戦争の一部」へと変貌していく時代でした。

―以下に関本さんの手記を抜粋します。―

『履正社中学の思い出。昭和10年頃、大阪市東淀川区(現:淀川区)加島町の神崎橋東詰に福島商業学校(旧制)の校外運動場があり、生徒は体育や軍事教練を行っていた。福島商業学校を母体として、履正社中学校の表示がされた木造二階建ての長い校舎が新築されていた。大東亜戦争が始まり、アジア諸国はひとつに纏まろうという八紘一宇(はっこういちう)の精神が政府・軍部により説かれ、軍需工場が増え、男子の徴兵・徴用も増え、通勤・通学者で電車は混んでいた。当時、通勤電車は2両編成が多かった。女子運転手もいた。そのため進学する者は2キロ以内の学校を受験し、徒歩通学せよとのことだった。

―私は十三に住んでいたので履正社中学を受験した。―

昭和19年には中学校は連日学徒動員があり4年生以上は各クラスに分かれて軍需工場に派遣された。どのクラスがどの軍需工場に派遣されたかは秘密保持で分からなかった。私たちの組は十三警察の斜め向かいにあった丸八科学工業会社で砲弾の一部を作っていた。遅刻は仕事進行上許されなかった。

私が履中2年の時、昭和18年初夏に、アメリカの偵察爆撃機が東京と大阪に飛来。その1機が履中の校庭の上空で日本の飛行機と青く澄み渡る上空で、空中戦を繰り広げた。それは太陽に反射しキラキラ光っていた。やがて敵機は去って行き、これを眺めていた教練中や、体育の授業中の生徒たちは一斉に拍手喝采を送った。

しかし、敵機の襲来をうけ、政府・軍部は日本・本土の防備の手薄に気づき、甲子園・芦屋浜と履中校庭に高射砲陣地を築いた。このことは高射砲陣地があると敵機飛行は近づかないと地元民には喜ばれた。私も高射砲を見に行った。ただ、立ち止まって見るとスパイ容疑になるので、ゆっくり歩いて観察していた。

運動場の西半分に土袋を1.5mほどの円形に、高さ1.5mほどの高さで中央をへこませた所に高射機関銃が1台空を向いていた。2階建ての校舎は兵舎のようだった。学校全体を兵隊が使用していた。』

―焼け落ちた校舎と、守れなかった命―

昭和二十年(1945年)三月十三日深夜から十四日にかけて、大阪はかつてない規模の空襲を受けました。北区、都島区、天王寺区、浪速区など市街地一帯が爆撃され、街は瞬く間に焦土と化しました。

加島町にあった履正社中学校も、その例外ではありませんでした。猛火により校舎は焼け落ち、高射砲が置かれていた運動場は集中的に爆撃されました。

関本さんは、焼け出された人々が十三駅周辺に身を寄せるなか、黒煙が立ちこめ、警察官や憲兵たちが暴動を警戒していた様子を、抑えた筆致で記録に残しています。

―平和の中にある日常―

それから八十年。現在の履正社は、中・高は豊中市に、専門学校は十三や箕面の地に校舎を構え、人工芝のグラウンドでは、生徒たちがスポーツに汗を流し、授業に励み、友と語らう日々を送っています。

その日常は、あまりにも自然で、穏やかで、当たり前に思えるかもしれません。けれど、かつて同じ「履正社」の名のもとに学んだ若者たちは、銃を手にして訓練を受け、空を飛ぶ敵機を見上げながら、戦争の時代を生きていました。

私たちは、その記憶を、そっと心にとどめておきたいと思います。

そして、今ある日々の静けさが、どれほど大切なものかを、あらためて感じてみたいのです。

―八月十五日に寄せて―

昭和二十年(1945年)八月十五日。日本が戦争を終えた日です。

この日には、命を落とされたすべての方々へ、静かに祈りを捧げるとともに、私たちが今こうして安心して学び、働き、語らえる日常の重みを、あらためて胸に刻みたいと思います。

過去を学ぶことは、誰かの正しさを決めるためではなく、未来に向かって、これからをどう生きていくかを、そっと自分に問いかける時間でもあります。 この先も、履正社で学ぶ若者たちが思いやりと誠実さを大切にし、平和を尊ぶ心を育みながら、それぞれの道を歩んでくれることを心より願っています。

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