「昔からそういうものだから、無理だと思う」。人はとかく、既成概念にとらわれやすいものです。一方で、その枠にとらわれず発想を転換し、「できるはず」と信じて果敢に挑戦する人もいます。宇宙開発のような壮大な挑戦から、身近な暮らしの中の課題解決まで、古今東西、人々の「挑む心」が革新的な技術や発想を生み出し、社会に新たな価値と変化をもたらしてきました。今回は、そんな既成概念にとらわれず挑戦したひとりの実業家とその企業の取り組みをお話したいと思います。
画期的杭打機「サイレントパイラー®」
前回の理事長だよりでも触れましたが、私は今年の夏、高知県を訪れました。その際に同県を代表する企業「技研製作所」を見学する機会を得ました。
失礼ながら、それまでは同社について全く無知な私でしたが、実際に実証展示場、ミュージアム、研究棟を見学し、技術開発への情熱とひたむきな企業理念に深く感銘を受けました。
同社が開発した「サイレントパイラー」は、まさに建設業界に“楔を打つ”ような画期的な技術です。「サイレントパイラー」とは、建設現場で欠かせない杭打ち作業を、油圧の力で静かに押し込むことによって“無振動・無騒音”を実現した杭打機です。
高度経済成長と公害問題
私が学生だった昭和30~40年代、日本は高度経済成長のまっただ中にありました。次々と大型の建築物が建設され、工業を中心とした産業の発展により、社会は大きく豊かになっていきました。しかしその一方で、急激な成長は公害という社会問題も生み出しました。建設現場での騒音もまた、公害のひとつとされていました。特に、杭を上から打ち込む際に鳴り響く「ダダダダダッ!」という大きな音と振動は、近隣住民の深刻な悩みの種でした。
「自分でつくろう」と決意した挑戦
昭和42年(1967年)、26歳という若さで「高知技研コンサルタント(のちの技研製作所)」を創業した北村精男(きたむらあきお)さんは、当時、建設機械の操作やメンテナンスの仕事に携わっていました。昭和45年、高知県を襲った大型台風によって堤防が決壊し、その復旧工事に携わっていた際、杭打ちによる騒音と振動が地域住民からの苦情となって北村さんを悩ませていました。
「騒音も振動も出ない杭打機はないものか」。
国内外を探し回っても、どこにも見つからず、ついに北村さんは「それなら自分でつくろう」と決意したのです。自社の事業を“機械を扱う”側から“機械を生み出す”側へと転換したのです。「仕方ない」とあきらめず、「どうすればできるか」を考える。まさに発想の転換が、騒音・振動という社会問題を解決へと導いたキッカケとなりました。
抵抗する力を逆に利用する
北村さんは昭和15年(1940年)、高知県香南市に生まれました。もとは裕福な家庭でしたが、戦後の混乱で厳しい生活になっていたといいます。高校卒業後は地元の建設機械レンタル会社に勤務し、現場で技術と勘を磨いていました。
ある時、高知市内の建設現場で、地中に差し込んだ杭がびくとも動かない様子を目にしました。地中の土が杭を強く締め付けている力に驚き、この抵抗を逆に利用できないかと考えたのです。砂場に杭を打って抜こうとすると、土の圧力で杭が抜けず、逆に反発で脚が沈む―そんな光景を思い浮かべると、原理がわかりやすいそうです。
「抜けにくいなら、その力で押し込めばいい」。杭が受ける地中の抵抗を次の杭を押し込む力に変換するという発想にたどり着きました。
苦労と試行錯誤の開発過程
しかし、原理を思いついただけでは完成には至りませんでした。そこで「高知のエジソン」と言われていた技術者の垣内保夫さんに協力を依頼し、二人三脚で開発に挑みました。
初期の試作では、硬い地盤では杭がうまく入らなかったり、油圧の調整ミスで杭が斜めに傾いたりすることが何度もありました。作業は困難を極めました。部品の耐久性を増すために、壊れた部品を毎回作り直す日々が続きました。
それでも互いの知恵と経験を出し合い、改良を重ね、微調整を繰り返しながら試作を重ねていきました。杭を押し込む力、油圧のバランス、機械の設置角度など、ひとつひとつに工夫を凝らし、試行錯誤を積み重ね、ついに完成へとこぎ着けたのです。
「サイレントパイラー」は、国内のみならず海外でも高く評価されました。足場を組む必要がなく、省スペースでスピーディーに杭打ちができることから、今ではドイツやオランダなど、世界へ普及しています。
自分が開発した技術を防災に生かす
この原理は海岸部の防波堤にも生かされています。杭を地中に打ち込むことで防波堤を築く工法は歯の治療に似ていることから「インプラント工法」と名付けられました。旧来の堤防は地面の上にコンクリートでできた防波堤を置くフーチング工法ですが、インプラント工法はしっかり地中に防波堤を埋め込むことで、土が締め付ける圧力を利用して強固にする工法です。
インプラント工法が注目されたのは、東日本大震災でした。岩手県山田町で同社の工法による水門工事で囲まれた二重壁が津波の猛威に耐え抜きました。その周辺の従来の工法でつくられた堤防は、もろくも破壊されていました。このことからインプラント工法が高く評価されたのです。
南海トラフ地震が危惧される高知県で生まれ育った北村さんは、東日本大震災の惨状を目の当たりにし、自分が開発した技術を防災に生かすことに並々ならぬ思いを持っています。
「できない」を「できる」に
社会を動かしてきたのは、いつの時代も「無理だ」と言われたことに挑んできた人たちです。「昔からそういうものだから」とあきらめず、「できる方法を探そう」と発想を変えてみる。そんな小さな一歩の積み重ねが、社会をより良くしていくのかもしれません。私たちも日々の中で、既成概念にとらわれず挑戦する心を大切にしたいものです。
― 参考資料 -
1) 「工法革命―インプラント工法で世界の建設を変える」北村精男著:ダイヤモンド社刊
2) 『国土崩壊-「土堤原則」の大罪』北村精男著:幻冬舎刊
3) 産経新聞連載「地球を掴め国土を守れ技研製作所の51年」など
