▼ 卒業生インタビュー : 高等学校「学藝コース」 常峰渉太さん
▼ 卒業生インタビュー : 中学校「学藝コース」 増井秀行さん
※データは取材時点のものです。

「そういう人」になれる学校。
夏の盛り、母校での取材に自転車を漕いで駆け付けてくれた常峰さん。今年春に履正社高校を卒業し、現在は大阪
大学工学部応用理工学科で学んでいる。
もしかして、大学も自転車で行ける距離ですか? と伺うと、「住んでいる実家から、キャンパスまで自転車で20 分ほどです。僕は朝が弱いので、家から近いところがよかった」と大学を選んだ理由の一つを教えてくれた。
大阪大学工学部の応用理工学科は、主に「機械工学」と「マテリアル生産科学」の二つの専攻に分かれる。常峰さんの志望は人気の高い前者で、1年次の成績によって専攻が確定するため、しっかりと単位を取る必要があるという。
「大学の授業は新鮮です。もっと高校までの学びが直接関係しているかと思っていましたが、知識を発展させたり、知識の根拠を問うたりするような内容なので、難しく感じることもあります。ただ、難しい課題にじっくり取り組ん
で理解を深めていく『姿勢』が求められる点は、高校も大学も変わりません。そのような学問に対する『姿勢』こそ、僕が履正社高校で身につけたことだと思います」
高校時代はバスケットボール部で副主将を務めながら、放課後の専攻ゼミで苦手科目を強化したという常峰さん。
「僕はつい数学や英語ばかり勉強してしまうのですが、古文や漢文にも取り組む時間をゼミで確保したおかげで、共通テストではほぼ満点を取ることができました」
そう語る彼に、「履正社高校の良いところ」を聞いてみた。
「自主性が身につくシステムがあるところでしょうか。他校のようにたくさんの宿題をやらされたり、強制で勉強させられたりするのではなく、自由な時間が確保できるので、その時間を自分が必要なことに使える。自分でやらなければいけないからこそ、自分で計画を立てて、やりたいことに打ち込める。そういう人になれるところだと思います」
毎日、仲の良いクラスメイトたちと机を合わせてご飯を食べた昼休み。しばしば遅くまで残り、“ いつもの席” で勉
強した図書館。ウケを狙って笑い合った文化祭。今振り返ると、全ての時間が貴重だったという。
二度とかえってこない高校三年間を自分の力で描ききった常峰さんの顔に、大学生の自信が浮かんでいた。

そのいざという瞬間に。
京都大学医学部を卒業し、外科医、そしてがんの研究者として活躍中の増井先輩。最近、医師の中でも合格率が2
~3割という日本内視鏡外科学会の「技術認定医」の審査に合格し、ほっと一息ついたところだという。
「私が主に担当している胃や大腸など、消化器系がんの緊急手術の際には、内視鏡を使った腹腔鏡手術がよく行われます。お腹の小さな穴から入れたカメラを見ながら進めるので、出血量や、身体へのダメージが少ないのが特徴です」
子どもの頃から、山や海や川など自然の中で遊ぶのが大好きで、「手を動かすのが好き」だった増井さん。外科の手術は通常4~5時間、すい臓の手術などは12 時間もぶっ通しで続くというが、全く苦にならないとか。
「手術中は全神経を集中させているので、1~2時間は一瞬で過ぎる感覚です。患者様の負担を考えると、手術は1秒でも早く終えたい。常に最短経路を探しつつ、その時々の状況によって模範解答を出し続けていきます」
外科医と患者との接点は、手術だけではない。
「がんの手術は術後の合併症のリスクもあるので、3~6カ月に1度の定期診察を5年間続けていただきます。術前から含めると、長いつきあいになりますね。中には御礼の手紙を送ってくださる患者様もいて、自分の好きなことで人に感謝されるのは、とても幸せだと感じます」
履正社で過ごした6年間は、「熱血」の印象だという。
「先生たち、全員熱血でした(笑)。カリスマ性があって、単純に教えるのがうまい。生徒を集中させる力がかなり強
かったです。勉強と遊び、学校と塾。メリハリのある生活を送らせてもらって、充実していました」
増井さんには、今でも忘れられない言葉がある。
「教室の前の黒板の上にかけてあったのが、『鍛錬千日、勝負一瞬』という言葉でした。外科医は、いつ手術に呼ばれ
るかわかりません。そのいざという瞬間に力を発揮できるよう、日頃の鍛錬が欠かせない。外科医にとって、かなり
響く言葉だと思います」
今後は外科の世界で指導的な立場に就くことが目標、と語った増井先輩。人生は勝負の連続。履正社で培った向上心を胸に、今日も医の道を歩んでいる。