「切磋琢磨」。
それは仲間と競い合い、お互いを高め合いながら共に成長していく、人生におけるかけがえのないプロセスを表す言葉です。この言葉の本当の意味を知ったとき、私たちの目に映る日常や人との出会いは、より鮮やかに輝き出すのではないでしょうか。
履正社での日々、共に学び、笑い、時に励まし合うクラスメイトとの関係が、まさにその「切磋琢磨」の原点となることを願っています。そんな理想を抱きつつ、私が今夏立ち寄った場所−−「鹿児島市維新ふるさと館」での学びは、その思いを一層深めるものとなりました。
鹿児島といえば、西郷隆盛や大久保利通をはじめ、明治維新を支えた薩摩藩の偉人たちで知られています。特に驚いたのは、西郷や大久保だけでなく、多くの英雄たちが「加治屋町」という限られた地域から輩出されたと知ったことです。同じ場所で育った幼馴染や仲間たちが、共に議論を重ね、夢を語り、支え合いながら歴史を動かす人物へ成長していった—その光景が、鮮やかに蘇るようでした。
加治屋町は、西郷隆盛の弟で海軍大臣を務めた西郷従道や、いとこで陸軍参謀総長の大山巌などの血縁者だけでなく、海軍元帥の東郷平八郎や2度首相を務めた山本権兵衛、海軍元帥の井上良馨、初代鹿児島県令の大山綱良、さらには明治天皇を警護した篠原国幹など、数多くの偉人を生み出しました。特に東郷平八郎は、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破し、アメリカの雑誌「TIME」の表紙を飾った初の日本人として国際的に知られる存在です。
なぜこの小さな地域から、これほど多くの偉人が輩出されたのでしょうか。その理由の一つとして、薩摩藩独自の「郷中(ごじゅう)教育」が挙げられます。この教育では、6歳から26歳までの若者たちが縦割りのグループを作り、学問や武道を互いに教え合いました。中でも、「詮議(せんぎ)」と呼ばれる討論が重視され、正解のない課題に対して徹底的に議論を交わすことが求められました。このように先輩や仲間と共に学び、競い合い、互いを高め合いながら成長する環境が加治屋町の偉人たちを育て上げたのです。まさに「切磋琢磨」という精神が、この地に根付いていたと言えるでしょう。
現代においても、切磋琢磨の精神は多くの分野で成功を生んでいます。漫画界では、手塚治虫を中心に、『ドラえもん』の藤子・F・不二雄、『仮面ライダー』の石ノ森章太郎、『天才バカボン』の赤塚不二夫といった後に大成する漫画家たちが、同じアパートで共に生活しながら切磋琢磨しました。その作品は今なお多くの人々に愛されています。
ビジネス界では、メルカリ創業者の山田進太郎氏と「ポケモンGO」を立ち上げた川島優志氏が、学生時代から互いに刺激を与え合い、それぞれの分野で成功を収めました。このように切磋琢磨し合うことで未来を切り拓く例は、古今東西尽きることがありません。
人生において、自分を高めてくれる仲間との出会いは、何ものにも代えがたい宝物です。「この仲間には負けたくない」「もっと成長したい」と思える存在がいるからこそ、人は強くなれます。そして、そうした絆の先にある未来は、きっと今よりずっと輝いているはずです。 皆さんも、切磋琢磨できる仲間と出会い、自らの可能性を広げながら未来を切り拓いてください。そこには、どんな困難も乗り越えられる力と、かけがえの無い人生の物語が待っているに違いありません。
参考資料
● 朝日新聞デジタル:加治屋町編1 偉人輩出 郷中の絆 – 鹿児島 – 地域 (asahi.com)
● 意思決定力を鍛え上げた 薩摩の郷中教育:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)