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理事長だより

2023.09 UPDATE

「Vol.55 魂は移る」

「小さな命を救いたい」。その一心で送られた一通の投稿から話は始まりました。

 57年前の昭和41年(1966年)6月、サンケイ新聞(現:産経新聞)に重篤な心臓の病気を患った鹿児島県の5歳の女の子、明美ちゃんについての記事が掲載されました。病名は心室中隔欠損症。心臓の心室の壁に穴があくという難病です。手術をしなければ余命2、3年と宣告されていましたが、ご家族は手術の費用を賄うことができませんでした。この状況をみかねた明美ちゃんの叔父夫妻がサンケイ新聞に投稿し、それがきっかけとなり明美ちゃんの窮状が新聞の社会面に掲載されました。記事の反響は大きく「明美ちゃんを救おう」と新聞社に全国から電話や寄付が寄せられ、掲載の翌日には268万円余り、一週間で425万円と手術にかかる費用約50万円をはるかに超える善意のお金が集まりました。
 中には「まだ第2、第3の明美ちゃんがいることと思います。そのような人たちに一日も早く明るい明日を与えてください。」と神奈川県の中学3年生たちから送られた4000円というのもありました。

 人々の善意の魂が集まり、当時世界的権威といわれた榊原教授の執刀を受けることができて手術は無事に成功し、明美ちゃんは元気に育っていきました。
 その後、日本で初めて心臓病のこどものための「明美ちゃん基金」として善意は継続され、小さな命が救われていきました。さらに国も動きだし、先天性心臓病の対策が進み、医療費は健康保険や公的扶助でほぼカバーできるようになりました。

 日本のこどもへの対策が充実すると、活動は世界へと広がっていき、昭和47年(1972年)にはインドネシアの7歳のこどもが、続いてネパール、韓国、カンボジア、マレーシアなど、外国のこどもたちが手術を受けていきました。
 そして令和の今でも「明美ちゃん基金」は続いています。人々の寄託金により50年以上の活動の中で200人を超えるこどもたちの命が救われているそうです。

 私は明美ちゃんの話を知って、共感する心をもつことの大切さを改めて思いました。明美ちゃんを救いたいと投稿した叔父夫婦、その投稿を見て記事を書いた新聞記者、記事を読んでお金を送った人々、治療を担当した医師をはじめ医療従事者の方たち。一人ひとりが自分に出来ること、できる範囲で行った誠実さが繋がった結果、明美ちゃんの命が繋がり、その後多くの小さな命が救われていきました。関わった人たちはおそらく「特別すごいことをした訳ではない。ただ自分は誠実に振る舞っただけ」と思っているのではないでしょうか。

 手術が成功した明美ちゃんこと松本明美さん。大人になり、小児病棟の看護師として活躍しているとのことです。平成28年(2016年)「明美ちゃん基金」が50周年を迎えた時の産経新聞の記事によると、明美さんは「もう50年なんですね。すごいのは、今も善意を寄せてくださる読者の方々です。」と思いを語っています。看護師になったのも入院時にお世話になった姿に憧れたから。そしてお母さんに看護師の仕事に就くべきと背中を押され、自身もそう思ったから。いまでは「天職だと思っている」そうです。

 あの明美ちゃんが、小児病棟で自分と同じように病魔と闘うこどもたちのために働いている。そのことも人々の「小さな命を救いたい」という思いが紡いだ賜物ではなでしょうか。次はきっと、そんなこどもたちの中から明美さんに続く人が育つのではないでしょうか。

「魂は移る」と思いませんか。

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