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理事長だより

2021.07 UPDATE

「Vol.29 東京五輪」

 7月22日東京オリンピック・パラリンピック(以下東京五輪)が開幕します(本稿は2021年7月1日記載)。賛否両論ありますが、開催と決まった以上、成功裡に終始することを祈るばかりです。

 東京五輪に関わる人々。それは選手とそのスタッフだけではありません。表にでることはないけれど、相当な数の人が陰で支えてくれています。                      
 屈指の大成功をおさめたと云われる1964年の東京オリンピックの際も、裏方として多くの人々の支えがありました。そこで生み出されたものが、今日の私たちの生活に役立っているものがあります。

 その一つが冷凍食品です。選手村では1日1万人の選手と関係者に食事を提供しなければなりませんでした。前代未聞の量であり、さらに世界各地の料理を整えなければなりません。責任者で帝国ホテル総料理長村上信夫さん(当時)は、およそ300人の一流コックたちを指揮して、大量の食材を過不足なく確保するために冷凍の食材を活用することにしました。しかし、単に凍らせればいいという訳ではなく、57年前の冷凍技術では課題が多くありました。そこで村上さんは企業に協力を依頼し、調理してから凍らす方がいいものなど、食材ごとに加工の仕方を変え試作を重ねます。その結果、冷凍の技術が飛躍的に向上しました。

 人が走る姿で非常口を示すものや、男女のトイレの表示、どこにでもありますよね。あの分かりやすく簡単な絵柄で表したものを「ピクトグラム」といいます。これも来日した海外の人々が一目で分かるようにと、64年の東京オリンピックの時に誕生しました。制作したのはポスターやトロフィーなどの意匠を制作するために集まったデザイン室のクリエーターたちです。

 昭和の東京オリンピックを裏から支えた人々を取材した野地秩嘉さんの著作「TOKYOオリンピック物語」によると、「ピクトグラム」が創られたデザイン室には、ほかにも様々な仕事が舞い込んできたそうです。その一例は、「国立競技場の表彰台を大至急制作してほしい」という依頼でした。しかも開幕が近づいてきた時に、いきなり飛び込んできたそうです。デザイン室の一員でこの案件を担当した道吉剛さんは、表彰台のデザインなんて経験がありませんでした。でも「自分たちの仕事ではない」なんて言えません。簡易なデザインを描いて「とにかく急いで作ってください!」と近くの工務店に駆け込みます。
 「職人は設計図をちらりと眺めると『オリンピックか』と呟いた」と同書には書かれています。そして、メモ程度の設計図にも関わらず、ごく短時間で完璧な強度の表彰台を作り上げました。その時のあわただしさと応えた人たちの心意気を感じます。「美しい色や形をつくるのはひとりのデザイナーの美意識ではない。美を形にできるインフラがあったから表彰台は短時間で完成した。そうした国民一人ひとりの力が集まって東京大会の準備は整ったのである」と野地さんは記しています。その表彰台にはゴールドメダリストの「裸足のランナー」エチオピアのアベベ選手などトップアスリートたちが登りました。

 今回の東京五輪でも数多くの人々が関わっています。
 聖火リレーのランナーが持つトーチは五輪を象徴するもののひとつです。デザインを手がけた吉岡徳仁さんは、福島県南相馬市の小学校で子供たちと一緒に桜の絵を描くイベントに参加した時、桜の花びらをモチーフにすることを思いついたそうです。
 「桜が咲く時期になると、日本では何となくみんなあたたかい気持ちになり、それが桜前線の北上とともに伝わっていく。そんなイメージの聖火リレーができたら、災害の重なった日本にとって再起や復興の象徴になるのではないか、という着想を得たのです」(「日経ものづくり」2020年2月号)。
 トーチは美しく、遠くからでも炎がよく見え、軽くて、安全性があり暴風雨でも炎が消えないものでなければなりませんでした。さらに3月の福島から7月の東京まで受け継がれるので、寒暖差にも対応する必要もありました。
 吉岡さんと技術者たちは何度も試行錯誤を重ね、そして新幹線の車体を造る技術で培われたアルミニュウム合金など、日本の高度な技術を駆使してトーチが誕生しました。その数1万1千本。空港の滑走路が閉鎖するほどの秒速17mの強風でも炎が消えないものができました。またトーチ本体のアルミ合金の部分は30%が東北の震災で解体された仮設住宅のアルミサッシだそうです。東北で役目を終えても東京五輪のために生き返りました。聖火リレーはコロナ感染予防のため規模が縮小されましたが、トーチには関わった人たちの想いが込められています。

 東京五輪は新型コロナウィルスが世界中に蔓延する中で開催される事になります。戦争やテロ事件のために大きな影響を受けた大会は過去にありましたが、ウィルスとの闘いはオリンピック史上初めてのことです。無事に終わることを願ってやみません。そして昭和の時のように、五輪で得た知見が更に進化して私たちの生活に還元されたらいいなと思っています。

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