第二次世界大戦の終わりが近づいた1944年夏、ナチス・ドイツの支配下にあったパリは、静かに死の影に覆われていました。
ヒトラーが下した命令は「パリを廃墟にせよ」。セーヌ川にかかる橋を壊し、ノートルダムも凱旋門も、ルーヴルもすべて爆破せよ──というものでした。
その命を託されたのが、パリ軍事総督に任命されたコルティッツ将軍です。彼は「どんな命令も遂行する男」として知られており、街の至る所には実際に爆薬が仕掛けられました。もしスイッチが押されれば、芸術と文化の都は、一夜にして灰と化していたのです。
けれども、彼の胸には葛藤がありました。
ベルリンで会ったヒトラーの姿は、やつれ果て、虚ろな瞳をした狂気そのもの。崇拝してきた指導者の変貌は、将軍の心を深く揺さぶります。
さらに命令を拒めば、妻や幼い子どもたちまで処刑されるという「親族連座法」が待ち構えていました。軍人としての義務と、人間としての良心。家族への愛と、未来に残すべきもの。そのはざまで、彼は苦しみます。
そこへスウェーデンの外交官ノルドリンクが密かに告げました。
「パリを破壊すれば、あなたは歴史に消せぬ罪人となる」
コルティッツは後にこう振り返っています。
「軍人として死ぬ覚悟はできていた。だが、パリを壊した罪人として死ぬ覚悟は、私にはなかった」
そして1944年8月25日。ベルリンの地下壕でヒトラーが「パリは燃えているか!」と叫んだその時、パリは燃えていませんでした。将軍は最後まで爆破命令を出さず、降伏を選んだのです。彼が総督として務めたのはわずか16日間。その短い時間の中で下した一つの決断が、永遠の都を救ったのでした。
この物語に触れるとき、私たちは思わず自分に問いかけます。
もし自分がその立場なら、命令に従っただろうか。それとも人間としての良心を貫けただろうか。
そしてもう一つ。
この出来事を私たちが知ることができるのは、取材し、記録し、語り継いだ人々がいたからです。歴史を記録することは、単に過去を保存する行為ではなく、「未来を生きる力」そのものになるのです。
パリが燃えなかったのは偶然ではありません。勇気ある人々の働きと、一人の将軍の葛藤の末の決断があったから。 その事実を知るとき、私たち一人ひとりもまた、人生のどこかで「自分ならどうするか」と問われているのです。
― 参考資料 -
●「パリは燃えているか?」(上下)発行:ハヤカワ文庫
● 映画「パリは燃えているか」制作:パラマウント映画映画
●「パリよ永遠に」制作:Film Oblige Gaumont Blueprint Film