篠ブログ №14 文系?理系? それともその先へ?―学びとは「分析」と「総合」の反復

篠ブログ №14 文系?理系? それともその先へ?―学びとは「分析」と「総合」の反復

こんにちは、篠岡です。

「秋の日は釣瓶落とし」

これは、井戸のつるべが一気に底へ落ちるように、秋は日暮れが早いことを表した諺(ことわざ)です。

私は日暮れだけでなく、秋という季節そのものも、春や夏に比べて駆け足で過ぎ去っていくように感じています。

校舎を見渡すと、高3生は定期試験などの日常の中にいよいよ「大学入試」が重なり始め、緊張感が増してきました。

そして高1生にとっては、来年度に向けた「文系か理系か」の最終判断が迫る重要な時期でもあります。

そこで今号は、多くの生徒・保護者が一度は悩む「文系・理系」について、少し考えてみようと思います。

ちなみに、今月は「月2~3回配信の【篠ブログ】」のお約束を守れそうになく、これ1本になりそうです(スミマセン)。

その分1本に凝縮したのでいささか長文(全7章)です。お時間があるとき、ゆっくりお読みください。

■第1章―学問の源流をたどる

現在の我々の「学び」につながる西洋の「学問」の源流の一つは2000年以上前の古代ギリシャにあります。

当時、「知」を探究する人々は「哲学者」と呼ばれました。

古代ギリシャのソクラテスやプラトンだけでなく、「万有引力の法則」で知られるニュートンも自らを「自然哲学者」と位置づけていました。

さらにその約2世紀前のレオナルド・ダ・ヴィンチもまた、『モナ・リザ』を生み出した芸術家でありながら、医学、科学、土木、機械工学などあらゆる自然探求に挑んだ「自然哲学者」の先駆的存在と言えます。

■第2章―学問の分化―文系・理系へ

ニュートンの少し前の時代、「近代哲学の父」かつ「近代科学の父」と称されるフランシス・ベーコンは著書『学問の進歩』で、人間の精神機能を次の3つに分類しました。

  • 「記憶」―「歴史」
  • 「理性」―「哲学」
  • 「想像力」―「詩学」

これは、神学中心の中世から、人間や自然についての知識を体系的に探究する近代への移行を示す動きの一つでした。

18世紀に入ると、ダランベールらが『百科全書』で学問を次のように体系化しました。

上図のように、「哲学」の中に「人間の学」と「自然の学」の領域が位置づけられており、これらは、現在の「人文社会科学」と「自然科学」につながる学問分類の一つと見ることができます。

その後、近代科学の発展とともに学問はさらに細分化され、現在では概ね次のように整理されています。

  • 「人文社会科学」―人間の活動や社会を主な対象とする。文学・法学・政治学・経済学・社会学など
  • 「自然科学」―自然の仕組みや現象を主な対象とする。物理学・化学・生物学などのほか、これらを応用する工学・医学など

こうした学問の分化を背景に、現在の「文系」「理系」という枠組みが形づくられてきました。

大まかに言えば、「文系」では言語や歴史、社会的背景などを重視する分野が多く、「理系」では数学的手法や実験、定量的な分析を重視する分野が多い、という違いがあります。

ただし、どちらにも様々な研究手法があり、明確に二分できるわけではありません。

こうして見ると、「文系」「理系」とは、比較的最近、学問を整理するために設けられた分類の一つなのかもしれません。

■第3章―細分化から統合・融合の時代へ

こうした近代的な学問の分類や制度が、日本で整えられていったのは明治以降のことです。

明治10年に日本初の近代的大学として東京大学が設立され、そこから約150年が経ちました。

本校では、「将来なりたい自分を思い描き、そこから逆算して全国の大学・学部の中から選ぶ」というキャリア教育を重視しています。

例えば、「数学が嫌いだから文系へ行く」ではなく、「将来○○を開発したいから数学は苦手だけど頑張って勉強して理系へ行く」という考え方です。

一方で、理系へ進むからといって「理数教科しかいらない」わけではなく、大学以降に何を専門的に学ぶかという話と、高校時代に何を学ぶべきかという話は別物です。

理系でも研究論文を書く国語力は必要ですし、文系の経済学でも数学を使う分野は少なくありません。

そして現代社会では、文系・理系の垣根を越えた力がますます求められています。「文理融合」という考え方も、こうした社会の変化を背景に生まれたものです。

例えばAI(人工知能)の開発には数学や情報科学の知識が不可欠ですが、その利用には法律や倫理、人間の働き方への影響を考える視点も必要です。

また、地球温暖化などの環境問題も、自然科学による分析だけでなく、経済や政治、国際協力の観点から解決策を考えなければなりません。

こうした課題には、文理を越えた知識の結び付きが欠かせません。

だからこそ、私は生徒の皆さんに「受験のためだけの勉強」をしてほしくありません。

もちろん進学は大切ですが、それ以上に「知らないことを知る喜び」を味わってほしいのです。

「なぜそうなるのだろう」「もっと調べてみたい」という気持ちこそ、学びの出発点です。

そして、その知的好奇心が専門分野への挑戦や新たな発見へとつながっていくのです。

そのためには、異なる分野の知識をただ集めるだけでなく、それぞれを分析し、互いの関係を考えながら、一つの全体としてとらえなおすことが必要です。

■第4章―「学ぶ」とは「分析」と「総合」の反復

ところで、私は言語技術の授業で、「一言で言えば、学ぶとは『分析』と『総合』を繰り返すことだ」と説明します。

それぞれの意味は、次の通りです。

『分析』=物事をいくつかの要素・成分・側面に分け、それぞれを詳しく調べ理解しようとすること

『総合』=複数の要素・情報・観点などを全体としてまとめ、全体的な視点から理解・判断・評価すること

例えば、ラジオなどの電化製品を分解し、一つ一つの部品の形や役割を調べるのが「分析」です。

それらの相互関係を考えながら組み立て、元の電化製品の仕組みを理解することが「総合」というイメージでしょうか。

完成形をイメージすることで、個々の部品の意味や役割も理解しやすくなります。

反対に、個々の部品が全体の中でどのように働いているかを理解せずに組み立てても、全体の仕組みを理解したことにはなりません。

だからこそ、文理を問わず、双方の知識や基本的な考え方に触れることが重要です。

同時に、一人ですべてを担いすぎず、様々な専門知を持つ人々と協働していくことも必要な時代なのです。

■第5章―「学ぶべき科目」と「入試に必要な科目」はイコールではない!

高校で学ぶ科目は、本来、大学以降の学びにつながるものであるはずです。

つまり、文系であっても数理を、理系であっても国社をしっかり学んでおくことが大切なのです。

ただ、これを難しくする要因の一つが、現在の日本の多くの大学の入試科目です。

例えば、私立大入試の文系は英・国・社(または数)、理系は英・数・理という組み合わせがよく見られます。

しかし、受験科目に指定されていないからといって、文系に数理が、理系に国社が不要というわけではありません。

そして、大学受験が近づくほど、この指定された受験科目が高校生の「幅広く学ぼうとする気持ち」に影を落とします。

受験生が合格を優先し、大学側も受験生の負担を考えて、どちらも科目を絞る事情は理解できます。

文理融合型の学部が増え、総合型選抜など入試の多様化も進んでいますが、文理別に特定教科の学力を問う入試も依然として多いのが現状です。

■第6章―現状で本校生が意識すべき学び

本校生、特に文理選択前の高1生や中学生には、あえて「どの教科も分け隔てなく勉強しなさい」と伝えたい。

その一つの目安として、「国公立大学を目指すつもりで勉強してみなさい」と話しています。

これは「私立より国公立が上だから」という意味ではありません。私立大学にも優れた教育・研究環境は数多くあります。最終的には、自分の将来から逆算して、行きたい大学・学部を選べばよいのです。

しかし、人間は弱いものです。受験科目かどうかによって、悲しいかな、学習への「本気度」が変わってしまいがちです。

だからこそ、その「本気」を保つためにも、国公立大への進学や大学入学共通テストの受験をできるだけ長く選択肢に残してもらいたいのです。

実際、共通テストは国公立大学の一般選抜だけでなく、私立大学の入試でも利用されています。

それでは、国公立大学を目指す場合の共通テストの一例として、6教科8科目の構成を見てみましょう。

文系は、英語、国語、数学×2、地歴×1・公民×1、理科(基礎を2つ)、情報。

理系は、英語、国語、数学×2、地歴公民から1、理科×2、情報。

(※必要な教科・科目は大学・学部によって異なる)

私立大入試では受験科目を絞れることも多く、志望校が定まった後に科目を絞ること自体に問題はありません。

ただ、中学・高1はもちろん、高2以降もできるだけ長く、幅広く学び続けてほしいのです。

履正社のS類・Ⅰ類は、高3の最後まで、文理双方とも「国公立型カリキュラム」です。

国公立大を目指せる学力を意識することで、文理を問わず幅広い教科を学び続けることができます。

■第7章―未来の学びを支える、幅広い学び

最後に、前号「篠ブログ№13」でも登場した東京大学。

東大の入試では、大学入学共通テストで幅広い教科・科目が求められるだけでなく、二次試験でも文系・理系ともに、英語・国語・数学に加え、文系は地理歴史2科目、理系は理科2科目が課されます。

なぜ、これほど受験生に負荷をかけるのか?

これは、専門分野に進む前に幅広い基礎学力を身につけておいてほしい、という東大からのメッセージなのかもしれません。

この考え方は東大受験生だけでなく、これからの社会を生きるすべての高校生に通じるものだと思います。

「学ぶ」とは、物事を「分析」し、異なる知識を結び付けて「総合」することの反復です。

「文系」か、「理系」か。専門を選ぶことは、学びの範囲を限定することではありません。

大切なのは、幅広い知識を結びつけ、自分なりの答えを探し続けることです。

ぜひ、文理の枠を越えた「その先」の学びを楽しんでください。応援しています。

*前号へのリンク👉篠ブログ №13 東大生の74%が「勉強が楽しい」と回答―「学びをたのしむ」ためのヒント

*次号へのリンク👉(現在配信前)

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