【理事長だより】「vol.88 見えない土台」
スタジアムに響く歓声、ゴールネットが揺れる瞬間の高揚感。その輝きは決して偶然に生まれるものではありません。選手たちの努力はもちろん、その背後には長い年月をかけて築かれた見えない土台があります。
壮大なピラミッドも、頂点を支える無数の石があってこそ成り立ちます。日本サッカーもまた、多くの先人たちが築いた土台の上に今日があります。
先日のサッカーワールドカップで、日本代表は決勝トーナメント一回戦で「王国」ブラジルに1対2で惜敗しました。日本時間の深夜2時からの試合を観戦し、翌日は寝不足でしたが、「日本はブラジルと互角に戦える時代になった」と感じた人も多かったのではないでしょうか。
その日本代表という頂点の礎を築いた人物の一人が、今から100年ほど前、大正から昭和初期にかけて日本サッカーの普及と発展に生涯を捧げた、田辺製薬(現・田辺三菱製薬)の社長・会長、14代田邊五兵衞氏です。
当時、日本では球技といえば野球で、サッカーはまだ広く知られていない競技でした。学生時代、英国人教師からサッカーを学んだ14代は、その魅力に心を奪われます。そして、「世界で愛されるサッカー文化が日本に根付いてこそ、日本は真の国際社会の一員となれる」と信じ、生涯をかけて普及に尽力しました。
14代は、日本サッカー協会の機関誌にこう記しています。
「英国に始まったスポーツであっても、日本には日本なりの解釈と発展があってよい。」
現在、日本サッカー協会が掲げる「Japan’s Way(日本流)」を、100年近く前に説いていたのです。
さらに、「フィールドは日本式にいえばサッカー演練の道場である」とも述べています。
勝敗だけを競うのではなく、礼儀を学び、相手を敬い、人として成長する場であるという考え方です。
一方で、「後発の日本が勝つには頭を使わなあかん。」と語り、海外からボールやユニフォーム、専門書を取り寄せ、自ら研究を重ね、その成果を機関誌で広く紹介しました。
当時はボールの規格も統一されていませんでした。14代は流体力学まで研究し、白黒のボールが最も見やすく競技に適していると提唱しました。また、日本代表の象徴となった青いユニフォームも、「国旗を囲む海の色」という発想から提案したことが、自身の著書『服色考』に記されています。
現在では当たり前と思われていることの中にも、こうした先人の知恵と挑戦が息づいています。
競技人口を増やすために関西サッカー倶楽部を設立し、少年チームや実業団チームを育成するとともに、審判の養成や女子サッカーの普及にも力を注ぎました。
1972年、14代は64歳でその生涯を閉じました。自らが日本代表としてプレーしたわけではありません。しかし、日本サッカーの未来を信じ、時間も財産も情熱も惜しみなく注ぎました。
その功績は高く評価され、2005年、日本サッカー協会が創設した「日本サッカー殿堂」の第一回顕彰者3名の一人に選ばれています。協会関係者は、ご子息に「いの一番に入っていただかなければならない方です」と語ったそうです。この言葉こそ、14代が日本サッカーの土台を築いた人物であったことを物語っています。
私たちは、どうしても頂点に立つ人へ目を向けがちです。しかし、その頂点は、見えないところで力を尽くしてきた多くの人たちによって支えられています。
14代も、最初から日本サッカーの礎を築いたわけではありません。一人の学生としてサッカーに出会い、その魅力に心を動かされ、「日本の未来のために何ができるか」を考え、行動を積み重ねた結果、その志は100年後の日本代表へと受け継がれました。
皆さんも今は、自分自身の土台を築いている最中です。学校生活での学びや部活動、友人との出会い、失敗や挑戦の一つひとつが、将来の皆さんを支える力になります。
その努力がすぐに大きな成果となって表れるとは限りません。しかし、14代がそうであったように、一歩一歩の積み重ねは時を超えて思いがけない実を結ぶことがあります。
ピラミッドは、一つの石だけでは築くことはできません。
今日の一歩は小さくても、その積み重ねが未来の皆さんをつくります。そして、その先で皆さんが出会う人たちや社会を支える力へとつながっていくことを願っています。
【参考資料】
産経新聞連載
ジャパンズ・ウェイの確立 世界を目指して掲げた和魂洋才 サッカー大国の魁 14代田邊五兵衛の生涯<2> – 産経ニュース
PRタイムス
日本をサッカー大国に。日本サッカー黎明期に老舗製薬企業の14代目が拓いた道筋|田辺ファーマ株式会社のストーリー|PR TIMES STORY