篠ミニ 6.25 公開授業「ポスタープレゼン」―6ヵ年高1『華氏451度』

篠ミニ 6.25 公開授業「ポスタープレゼン」―6ヵ年高1『華氏451度』

こんにちは、篠岡です。

本日は朝から強い雨。

そんな足元の悪い中、6ヵ年コース中1~高1の保護者の皆様が多数来校くださいました。

そのお目当ては、高1学藝4.5組による「ポスタープレゼン」

彼らが今月1ヵ月かけて取り組んだ「丸本分析」の締め括りです。

「もし本がこの世から消えたら?」樋・深・吉
「考えるとは何か?」朝・岩・木・菅
「もし、華氏451度の世界に迷い込んだら?」青・東・井・豊・垣
「真の本の大切さとは?」小・河・小・佐・近
「本 vs 映像端末」奥・金・杉・田・竹・劉
「現在、リアルな本の立ち位置は?」神・西・立・廣・福・吉
「今、私がこの世界へ飛ばされたら?」尾・神・小・中

特にアウトプットを重視する言語技術。

・作品に対して予備知識のない相手(保護者や教員)

・作品内容をしっかり分析した相手(クラスメート)

この異なる二つの ‘聴衆’ に対し、

自作のポスターが意図することをどう伝えるか?

聴き手の質問に当意即妙に答えられるか?

臨機応変で高度な“プレゼン力”が試されます。

参加された方々からも

「高校生がここまで深く本を読み解くなんて!」

「とても論理的でわかりやすいプレゼンでした」

「同じ本なのに、班によって切り口が全く違うのは興味深い」

と、驚きとお褒めの言葉を多数いただきました。

生徒たちにとっても、学びを深めるよい機会となったことでしょう。

我々も、予想をはるか上回る生徒たちのパフォーマンスに、少し驚いております。

ただ、一点だけ辛口に言うと、

「人の心を揺さぶる話し方」については伸びしろ大ですね。

保護者の皆様、

本日は悪天候をおしてご協力いただき、誠にありがとうございました。

■なぜ今、『華氏451度』なのか?

それにしても、なぜスマホやAIのこの時代に、

1953年の古典ディストピア文学『華氏451度』を扱ったのか?

(「ディストピア」=反理想郷。「ユートピア」の対義。)

実はそこには、現代を生きる私たち全員に関わる「ある痛切な予言」が隠されているのです。

・生徒たちが挑んだ学びの「本当の意義」

・我々が知らず知らず陥っている「IT端末の罠」

・AI時代に必要な「深い読み、深い思考」

生徒たちのある班は、

「『考える』とは、できるだけ一次情報にあたり自分の頭を使うことだ。その点で『本』から得られる情報は純度が高い」

と位置付けていました。

これら生徒の分析も踏まえ、7/3配信の【篠ブログ】で私なりに考察してみます。

その翌日の試験休業日、

☕コーヒー片手にじっくり読んでみてください。

※篠ブログ№8はこちらへ👉 7/3配信予定

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